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気になること

こんにちは。

みなさん、春休みはいかがお過ごしでしょうか?

私はこの春休み、約1年ぶりの日本へ行ってまいりました~!

東京は桜も咲いていて、だんだんと春へ近づく風のにおいがしていましたよ。

 

やまやです。

 


 

さて、今日のタイトルは「気になること」

みなさんも、人間をやっておられるのならこんな感情は経験したことがありますよね。

例えば、好きな人が自分のことをどう思っているんだろう!とか、あの人のここ、なおしてほしいなあ。とか。

いろいろあると思います。

 

わたしも例にもれず、人間として生きているうえで日々、この感情を持つ機会があります。ありがたいことです。

 

わたしは些細なことを真剣に考えるのが好きなので、傍から見たらちょっと観点が変であろうことが気になってしまいます。

今日はその需要と供給の比率を考えずに、勝手にそのFOR EXAMPLEをご紹介したいと思います!(供給過多)

 

①座席の背もたれ

 

日本に帰った際、飛行機内でこんなことを思いました。

 

「座席の背もたれのカーブは必要か」

 

実はこれはかなり前から考えていたことなのですが、つい最近経験したので改めて「気にな」りました。

飛行機とか、新幹線とか、長距離バスとか・・・背もたれの角度、座りにくくないですか?!

個人的に、首のところで角度がかわっているのがとても気に食わないのです。

その角度をつけるメリットとしては、”しっかり座れる”。これだけだと思うのです。

 

いやいや、椅子として、”しっかり座る”ことこそが醍醐味やん!

と思ったでしょう。そこのあなた。

 

違いますよ。(※たぶん)

 

あくまでも移動をメインとした交通機関では、むしろ”しっかり座る”ことを重視したら、疲れてしまうのです。

だって、移動中の時間でする事なんて、限られているじゃないですか。

で、その中の80%くらいの方は”寝る”という選択肢をとると思うんです。

 

そんな中で、”ちゃんと座れる”という要素は椅子にとって必要でしょうか?

むしろ、だらだらできる要素が欲しいと思いませんか?

であれば、首のあの角度は必要ないと思うのです。背もたれにもっと身を預けられるように、ストレートに背もたれを作ればいいのではないかと。

 

背もたれ側も、作り手の技術に従って律儀にあの角度を保ち、自分の責務を果たしているでしょうに、不本意に私をときどきイライラさせていることを申し訳なく思っていることでしょう。こちらこそごめんなさい。

でも。。。寝にくくて寝にくくて。

いつも居心地が悪い思いをしているのは私だけでしょうか…何かいい方法があればご教示願います。

 

②自分以外のモノ

モノは物です。それ以上でもそれ以下でもありません。

同じように、「私」だって、私以外私じゃないの~!あたりまえだけどね、だーかーら♪

それ以上でもそれ以下でもありません。

以上。それだけなんですけど、それくらい無機質なことってとっても気になりませんか?

少なくとも人間には感情があるわけで、自分の今の感情は自分に与えられているものです。

 

しかし、モノってどうなのでしょう。

例えば階段の段とかって、毎日人間やらなにやらに踏まれて、どんな気持ちなんでしょうか。

東京タワーのてっぺんは、あんなに高いところから街や人間を見下ろして、何を思うのでしょうか。

いわゆる命を持たない”モノ”たちは、何を見て何を感じ、どのように日々を過ごしているのでしょう。

 

・・・いやいや、感情はモノ自身、そもそも持ってないわい。

 

 

という考え方もあるでしょう。というかむしろ私もそっち側ですよ。頭がおかしいわけではありません。(ここ重要)

そんな一般的で基本的な概念は、重々理解しています。

 

しかし、それをわかったうえで、あえて考えたいのです。あえて気にしたいのです。

モノの日常を。

 

私たち人間に備わっている心、感情がないかもしれないことはわかっていますが、この無機質さに思いを至らすことなんて普通はしないからこそ、考えてあげたいのです。

モノのためにも、自分のためにも。

 

だって、今考えることなんて、自分が自分として生まれたこの人生でしか持てないことなんです。

もしもほかのだれかに生まれ変わったら、その時の”私”は今の私と別人ですから、考えも別です。

もっと言えば、数年前の私と数年後の私だって考え方が違います。

 

正しいか正しくないかとか、答えを導き出せるか否か、とかそういうのじゃないんです。

 

ただ、考えたい!と思ってしまうというか・・考えてしまう、が近いでしょうか。

そういう私の性分です。笑

 

とりあえず、テレビとか机とか椅子とかの日常は何となく想像できるのですが、最近難しいのはガラスです。

透明って一番難しくないですか。清すぎて。

まあ、正直テレビも椅子も机もガラスも実際になってみたことがないので、全部想像でしかないのですが。

 

答えはありませんが、永遠に気になる謎です。

小さいころからの考え癖なので、これは私がおばあちゃんになっても続くのでしょう。

 

 

こういうのを、「え、意味わかんない(笑)」ってならずに、一緒になって考えてくれる人が私はとっても好きですし、

そんな風にしてくれる人たちは今でも仲良しの友達です。

 

もちろん、「え、意味わかんない(笑)」も一つの考え方ですよね。

否定する気は全くありません。ベクトルが違うだけなので!

 

人間同士、完全一致などできないものですし、それがむしろ人間としての旨みだと思っています。

それはそれ、これはこれです。

少なくとも、私はこういう考え方をするよ!っていう意思表示です。

 

 

山谷のあまり理解してもらえないシリーズでした。

お粗末様でした。

 

P.S. ①と②の具体と抽象の度合いがすごいですね。今気が付きました。

 

 

ではまた。

 

やまや