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連載「日々邂逅10」—下川裕治さんとラカイン族の人々 中編—

日々邂逅10
ー下川裕治さんとラカイン族の人々 中編

「参加したい」という思いだけはずっとあった開発途上国の支援活動。

ミーティングはいつも高田馬場にある雑居ビルの小さなミャンマー料理屋で行われました。

最初のミーティングで、自分たちの支援団体の名前を、コックスバザールに咲く花の名前からとって「サザンペン」にしようと決まりました。

 

そこに集まるのは下川さんのご友人やお仕事仲間、私、そして日本に住むラカイン人の方。

そのラカイン人の中にラジョーさんとエサさんという方がいました。

私はその二人とすぐに仲良くなって、プライベートでもよく食事をしたりするようになりました。

 

彼らから聞かされるバングラデシュの話は、日本でぬくぬく育っている私には信じられない内容ばかり。

「ラジョーは何歳なの?」

「家の木の幹に毎年刻んで数えていたんだけど、その木が台風で倒れて分からなくなったよ」

といった生活の話もあれば、

「仏教徒であるラカイン人がバングラデシュで生活するのは、やはりたいへんなの?」

「みんなが、ではないけど差別はうけているよ。例えば僕たちにとって大切な仏塔が落書きされたり壊されたりするし、ラカイン人の女性が町を歩くときは本当に気をつけなくてはならないんだ」

というような宗教の話もありました。

 

そして、私は彼らとどんどん仲が良くなっていき、定期的なミーティングに参加していくうちに、いつしか一端の支援活動をしていると思うようになっていきました。

そんなある日、東武東上線沿いにあったエサさんのアパートでカレーをご馳走になっている時でした。

ふとした会話の流れで、

「・・・ところで、石川さんは僕たちのために何をしてくれますか?」

と聞かれました。

もしかすると日本人同士だったらドキっとするようなこの質問。

エサさんにはもちろん、悪気はいっさいありません。

 

私はそれに答えることができませんでした。

彼らを支援するためのお金も、技術も、知識も、語学も・・・私には何もありませんでした。

それなのに、ちょっと活動に参加して、ちょっと知った気になって勘違いしていた自分が、とてつもなく恥ずかしくなりました。

 

それからしばらく経った2003年の初春。

私は下川さんと他の同行者と共にバングラデシュに来ていました。

 

《続く》