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地元、長崎の話

こんにちは。
連日の更新です。依藤です。

今日は地元の話です。
私は小学生から高校まで長崎の学校に通っていました。親は転勤族だったのですが、中学から私立の学校に通うことになりそこから父は単身赴任をしました。
私が高校2年生になると、両親共にそろそろ一緒に生活したいという希望もあり、私だけが長崎に残り、下宿生活をしていました。

半年間は友達の親戚の家に住ませてもらい、高校3年生になってからは、年齢制限のない下宿に住んでいました。
朝夕の食事が出て、下の階で下宿している名前も知らないおじいちゃんとよく同じ時間にご飯を食べていました。
たまに起きてこないことがあるので様子を見てきてくれとお願いされることがあったのをよく覚えています。
また時には、お駄賃あげるからコンビニでタバコを買ってきてくれとお願いをされることもありました。「いやいや、高校生ですので。最近はそういうのに厳しいんですよ」と、断ったこと思い出があります。

さてそんな長崎出身の私ですが、最近感じていることとして「意外と地元のことを知らない」というのがあります。
大学生以降、長崎に拠点がなくほとんど戻れていないので、長崎の一部しか知らないのです。

例えば、私が山梨県で仕事をしていた時の上司は長崎で6年働いていた方だったのですが、
その上司は長崎が大好きで長崎のおいしいお店や居酒屋の話、ゴルフ場の話などをよくしていました。しかし、私は何一つわからないのです。
子供の時にしかいなかったので、大人視点の長崎を知らない。ということになります。

さらに、同じ長崎でも、様々なところに住んでいる人がいます。
私は長崎県、長崎市の出身ですが、長崎の佐世保出身の人との共通の話題というのはなかなかありません。なぜなら、生活圏が全く異なるからです。移動の不便さや所要時間を考えると横浜と川崎以上の距離があります。

そうなってくると近隣県である佐賀の鳥栖や、福岡の博多、小倉の話の方が馴染みがあったりします。
そういった地元ニアミス体験を繰り返す中で、そもそも長崎のことを自分は知らないという自覚がうまれ、長崎をテーマに話を広げられた経験もあまりないということもあり、出身地を積極的には言わないようになっていきました。

さてそんな中で、昨日の出来事は私にとっても印象的だったように感じています。

昨日長崎出身の元平和大使の山西さんをお招きし、平和学習講演をして頂きました。
山西さんは現在大学生で生徒たちとも年齢が近く、すごく話が上手な方でした。

長崎、そして平和学習というと、そうです。

原子爆弾に関することが大きなテーマになります。

実は、私の出身小学校と高校は爆心地から一番近い学校で、特に小学校では毎月1時間以上の平和学習があり、毎年8月9日は学校に行き歌を歌い、被爆した方の話を直接聞く機会も数えきれないほどありました。

さて、そんな私も含めた当時の長崎の小学生が平和学習をどう思っていたかというと、本当に多種多様な受け止め方をしていました。

真剣に考えて講演中に泣いてしまう子もよくいますし、向き合うのが辛くて話を聞こうとしない子もいます。

決して楽しい話にはなりませんので、平和学習を聞くのが得意という人はいないように感じていました。
それでも、私の同級生の多くが今でも8月9日11時2分には黙祷していると思いますし、広島に旅行したら必ず広島の爆心地にも訪れると思います。かくいう私も広島の原爆ドームにはもう5回以上訪れています。

長崎に住む小学生の全員にとって、平和学習が大事であり、原子爆弾が恐ろしいものという認識の大前提はあるのです。

昨日KOMABAにきて講演された山西さんも小さい頃は平和学習や原爆について学ぶこと、被爆者の話を聞くことに対してネガティブな感情があったと話していました。

山西さんはその後高校生になってから平和について改めて考え、被爆者の思いに向き合うことを決意され、現在平和を訴える活動を世界中でされています。
同じ長崎出身の人として、本当に素晴らしい取り組みをされていると思います。

現在はマレーシアの大学に通い今後はフィンランドに留学し、平和を訴える活動を続けていくと話されていました。

冒頭に書いてあるように長崎出身の人との繋がりを今まで感じられていなかった私ですが、
長崎の繋がりを大きく感じる経験となりました。

大人になって改めて話を聞くことで、平和学習への受け止めかたも以前とは変わったように感じます。
そして何より、参加した生徒が真剣に向き合ってくれたので、とても有意義な会にすることができたと感じています。