〜前編の続き〜
ではさらにAIに多くのことを共有しましょう。
自分や相手の情報を詳細に書き、相手の好きなところをたくさん書きます。そして、思い出の場所、思い出の出来事などできるだけ多く書きます。
そして「内容を要約をしてラブレターにしてください」とAIにお願いすると、どういったものができるのでしょうか?
そのAIが書いたラブレターを、ラブレターの出し手が最終的に添削をして、好きな人に渡すと、そのラブレターの想いはどのくらいの重さだろうか???
なんてことを考えています。
実のところ、誰にも頼らずに真心を込めた自作のラブレターにも弱点はあります。
例えば文章の中で日本語の使い方で明らかな間違いがあったら、相手から幻滅されてしまうかもしれません。(むしろその不器用さが可愛いと思われる可能性もありますが。。。恋愛とはそういうものなので。。。)
ではそういった、自分の意図していないところでの事故を防ぐために、自分の書いたラブレターが文章としておかしくないかをAIに添削してもらう、という使い方はどうでしょうか。
状況としてはこうです。友達に「オレ、こんなラブレター書いたんだけど、どう思う?」と相談するのが恥ずかしい時に「かわりにAIに聞いてみよう!」というわけです。
この場合、もし一部を修正されて、ある程度の手直しを加えた完成品を見てもAIの介入に気づくのはなかなか難しい気がします。
そもそも気づくか気づかないかがどれだけ重要なのか?というのも難しい問いです。
ただやはり、付き合ったあとに「実はラブレターを書くの、AIに協力してもらったんだ」と言うと、幻滅される可能性はかなりある気がします。
こうなると、どこからがダメでどこからがいいのか。何が良くて、何がダメなのか。という問いは非常に考えがいのあるテーマであるように感じます。
いずれにしても、これらの話を踏まえると
「AIを使って(頼って)ラブレター」を書いた場合、そのAIと一緒に書いたラブレターの出来は、実は依頼主の文章力、指示する力、発想力などに大きく影響を受ける。と、私は考えています。
例えば「古風な言い回しで告白をしたい」というと「月が綺麗ですね」なんていうセリフと近いものが出てくるかもしれません。指示の仕方一つで言い回しが180度変わります。
AIを全く使わない社会に戻るのは難しいです。
使う場面と使わない場面をしっかり考え、使う場面はその使い方が非常に重要になる気がしています。
そして仮に「使う」という選択をした場合でも、私たちが想像しているより「使いこなす」のは難しいのではないかと考えています。
つまり、作文力のある人がやっぱりAIにも作文を上手に書かせうる。というのが、私の結論です。
できたものを評価する審美眼も必要です。
そうなると普段から作文、意見文を書く習慣というのが重要なことに変わりはないなと感じていますし、全てをAIに頼ることもできません。
私が担当する総合学習でいつか、そういった気づきを実際に体感してもらう授業をしたいなぁー!と、思っています。
追記:この画像と、前の投稿の画像ですが、どちらも画像生成AIに書いてもらったものになります。
どういう指示をしたらどういう画像になるのか。というのも、実際に触れてみて気づきが多くあり、結構面白かったです。
えとう