久しぶりに投稿します。北山です。
5月上旬、実家の和歌山県からオーチャードまではるばるやってきたある荷物。シンガポールに来て初めての実家からの荷物。
さてその中身は…
そうです!柔道着です!柔道着だけです!以上!
両親いわく、梅干しや厄年のお守りも送ろうとしたが郵便局で弾き返されたとのことでした。(梅干し食べたかったなぁ)
それでもシンガポールで柔道をできるということに変わりはなかったので、その日からウキウキで準備を進めてきました。
が、再びPhase2へ戻ってしまいました…
ソーシャルディスタンスがさらに厳しくなり、もちろん格闘技などできるはずもなく、柔道着は虚しくもお部屋のインテリアになりました。
オンライン授業が続き自宅で過ごす時間が増え、部屋に飾られた柔道着がよく目に入るようになってきました。
たった一着の布切れですが、その布切れにはとてつもない数の思い出が詰まっています。
朝練で吐くまで山道を走ったなぁ…
同期と泣きながら立てなくなるまで乱取りしたなぁ…
高校生の時過ごしたクリスマスは全て合宿場だったなぁ…etc
その時ふと気が付きました。あれ?楽しみにしていた柔道の思い出はどうしてこんなに苦いものばかりなのだろう?
つまり、僕にとってはこれまでの勝敗の「結果」よりもそれまで苦しみぬいたあの「経過」の方が、ある意味大事なものとして心に残っているということでしょうか?
当時は、いったい何のためになんでこんなにも時間も体力もかけているのだろうかと考えることもありました。
しかしコロナ禍などで色々と大変な中、心の支えになっているのは、死に物狂いで稽古をしていたあの時間です。
競技を離れ1年以上が経ち、最近やっとその意味がわかってきました。
毎日、受験生は志望校へ向けて奮闘しています。
彼らの合格したいという気持ちに応えることは絶対ですが、彼らが大人になり受験期を振り返った時、「当時は大変だったけど頑張ってよかったなぁ…」と思えるような時間も一緒につくっていきたいですね。
柔道ができるようになればその様子もブログで書きますので、Phase3になるまで暫しお待ちください…
北山