今回の「私の学習歴」の担当は青田です。 *長期連載企画「私の学習歴」について、詳しくはコチラ
◆◆◆私の学習歴~”普通”って何だろう~◆◆◆
人生において、何かを選択しなくてはならない場面というのはたくさんあるのではないかと思います。 そのたびに、いわゆる無難な選択をし続けてきたと思います。 本当は、もっと面白い人間なりたいなぁとか思ってもなかなか行動に踏み込めなかったと思います。 なぜなら、普通はこうだよねっていう雰囲気が自分の周りにはいっぱいあったからです。 自分の両親は、そのような型にはまらないとダメな人では決してなかったけど、 私はたいして意志も強くなく、言われたらそうか~となってしまうが故です。 だから、ボーっとレールを生きてきたなぁと思うことが多いです。
中学生の時、高校受験がありました。 まずは、高校に行くか行かないかの選択がありますが、右へ倣えだった私は迷いもなく高校進学を決め、 普通の県立高校への進学を決めます。そして、その高校に入ってから、部活の選択がありました。 高校にはやりたい部活がなかったし、部活強制校でもなかったので、やらずに校外で何か新しい事始めてみても良いな〜と思いました。 それを担任との面談で話すと、基本的には部活にみんな入るし、文武両道ができる生徒は大学受験成功するよ。だから入りなさい。って言われました。 確かに95%は入っているし、私も普通は入るのか…ほぉん入るか~のノリで部活に入りました。 (ですが、モチベがなかったのであまりい楽しくなかったです、、、笑) また、私はそもそも大学に行かなくても良いかなって思っていたし(勉強したくないという理由です、、塾講師なのに笑)、 必要になった時に行けばいいかなって思っていました。 働いてみたら見える世界も変わるからその時に行きたければ行けば良いよなぁと思って、 進路調査は、未定で出したんです。でもその時にまた言われました。 うちの学校は大学進学が99%だから、就活のサポートはあまりできない、と。 あぁそうか~やっぱりみんなと同じように無難を選ぶのが1番か~そう思いました。 そこから大学受験をし、大学生になりました。 ここまでダラダラと生きていましたが、ここでコロナに出会います。 私にとってはコロナが大きな転機でした。 コロナでほぼ何もせず、オンライン授業を適当に受けてバイトしまくるつまらない生活を2年しました。 正直つまらなかったです。だからどうせならこのタイミングで何か面白い事してみようか!唐突にそう思いました。 なぜ急に吹っ切れられたのかというと、コロナのおかげで良くも悪くも周りとの縁が切れていたので、 いつものように周りに何かを言われるということもなく、周りを気にする、普通を気にする、という必要がなかったので実行しやすかったからです。 大学を1年休学してアイルランドでビザを取って、アルバイトをしながらヨーロッパをぶらぶらしてみることにしました。 そこでたくさんの人たちに会いました。 例えば、日本での仕事を辞めて、アイルランドでイタリアンレストランのシェフとしてお店を経営している日本人、 軍人高校に通うイタリア人の女の子、サウジから来たとんでもなくお金持ちで18歳になったと同時に結婚するという16歳の男の子。 大学とインターンを半々でやりながら(たしか)8年かけて大学を卒業する予定の25歳のフランス人。 お仕事をしてたけど、大学進学をしたくなって仕事を辞めてアイルランドの大学出願のために英語を勉強しているフランスから来た子。 家に強盗な入られた話をウキウキ話すブラジルから来た17歳。 とか、ナイトクラブは向こうでは若者の社交の場で誰でも行くような場所だったのに驚いたとか。 あぁ今までの自分の普通ってなんだったんだろう…無難ってなんだったんだろう…そう思いました。 それぞれが培ってきたものは当たり前のように違い、それぞれ違うからそれぞれの人がする選択はそりゃ違うよなって思いました。 自分が見ていた考えていた"普通"や"無難"というのがどれだけ狭い世界線でのことだったのか。 でも地域によって"普通"は変わりうる訳だから、私が会った子たちもそれぞれの"普通"を生きているだけなのかな、とも思いました。 でも少なくとも自分が生きている世界の"普通"がどこでもスタンダードというわけではないんだな、 "普通"なんていう概念は変わりうるものだということを学びました。 だから"普通"はこうだよねって考えで行動をやめてしまうのは、どれだけ勿体ないことだったか、と思います。
多様な社会のシンガポールにいると、それだけのことか、と思うかもしれません。 でも、学生時代の私がそれに気が付くのは難しかったと思います。 また、この経験がなければ、きっと私は今シンガポールにいないと思います。 そういう意味で、私にとって大きな意味がある学習歴です。