今回の「私の学習歴」の担当は生井です。
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◆◆◆私の学習歴~ソフトボールを通して学んだこと~◆◆◆
私の家では、プロ野球をテレビで見るのが日常でした。
親が横浜ベイスターズのファンでしたので、自分も一緒になってベイスターズを応援していました。
たまに球場に行き、ユニフォームを着て応援したこともあります。
プロ野球を見続けるうちに野球選手の素晴らしさに惹かれるようになりました。
150kmを投げるピッチャー、場外ホームランを打つ4番バッター、ファインプレーを連発する守備職人。
自分もいつか同じように野球で活躍してみたいと思い、公園でキャッチボールやバッティング練習をしていた記憶があります。
そして、小学2年生のときに地元のソフトボールチームに入りました。私の地元は珍しいことに少年野球よりもソフトボールが盛んで、全国大会や関東大会に出場するチームもありました。
私が入ったチームも力があり、私が入った年とその翌年には関東大会に、そして私が小学4年生のときには全国大会に出場しました。
私自身は小学4年生の頃から徐々に試合に出るようになり、5年生以降はレギュラーとして試合に出続けられるようになりました。技術的な部分はもちろんのこと、勝つ喜びやチームスポーツをやる身としての心構えなども教わり、非常に充実した時間でした。
その中でも特に印象に残っている試合があります。
それは打順の総入れ替えを行った練習試合です。普段3番・4番・5番に入る体型が大きい人が1・2番か下位打線に、2番バッターや下位打線を任せられる比較的小柄な人が3番から5番に入ったのです。
当然、打順によってやるべきことが変わりますので、不慣れなことをしなければなりません。
自分はその試合で2番バッターになり、1打席目からバントのサインが出ました。いつもはとにかく打って得点を重ねる役割で、誇りに思っていたため、怒りの感情を抑えきれませんでした。しかし、冷静になったときに監督の意図を理解しました。普段バントでランナーを進める、地道に出塁することを選ぶ役割の人がいて自分の役割が機能することを考えさせられたのです。また、チームスポーツをよく理解していないと痛感もしました。
チームの顔として活躍が目立つ人もいれば、縁の下の力持ちとしてチームに欠かせない存在になる人もいる。
人はそれぞれ違い、またちゃんとお互いを尊敬し合う必要があることをその経験から学びました。
生井