学習塾KOMABA 石川さま
こんにちは。NPOカタリバの松本真理子です。いつも温かく見守っていただき、ありがとうございます。
この夏、全国各地に大きな被害をもたらした西日本豪雨。死者行方不明数は全国で232人、全半壊の住居は1万7千棟以上を記録しました(消防庁11月6日発表より)。
岡山県倉敷市は、高梁川と小田川という2本の川が合流する真備町エリアを中心に大きな被害が出ました。倉敷市の全半壊の住居は5,240棟、真備町内の小学校2校・中学校2校・高校1校が床上浸水等の被害を受けました。
カタリバは7月から現地の学校や行政、団体と連携しながら支援活動を行っています。子どもたちと個別に話をする場を作り、彼らの困りごと一つ一つに耳を傾けてきました。遠隔地に避難した高校生のためのスクールバス運行や、制服・部活用品といった必需品の提供などを、全国から寄せられたご寄付を元に行ってきました。
今回は、発災から4ヶ月が経ち、子どもたちが今、何を思い、どう過ごしているのかをご報告します。
7月、突然の災害で、子どもたちの生活環境は一変しました。避難所や親戚の家、みなし仮設、辛うじて被害を免れた家の2階で暮らすなど、避難生活の形は様々でした。例年以上の猛暑と慣れない避難生活で、彼らからはこんな声が聞こえてきました。
「避難所で配られる食事がだんだんと喉を通らなくなり、体重が5キロ以上減った」
「夜中に頻繁に目が覚めてしまう」
「勉強とか部活とか、ちゃんと頑張ろうって思っているのに、どうしても体が動かないんです」
中でも、受験を控えた高校3年生は、進路への焦りと不安の声が聞かれました。 ある女子生徒は何度もカタリバの個別相談に訪れました。
「街はがれきだらけ。友だちも被災した。学校も豪雨の日から休みになってしまった。心が落ち着かない。こんな状況では、勉強どころではない」
一般に大学受験の勉強は”夏休みが勝負の時期”と言われます。しかし、避難先では十分に勉強場所を確保できないなどの状況にありました。また、雨が降る度に「あの日のことを思い出して怖い」という気持ちが湧き上がってきます。とはいえ、受験は被災の有無に関わらず、全国のライバルと競わねばなりません。
そんな夏休みから2ヶ月ほど経った先月、女子生徒から嬉しい報告がありました。希望の国立大学に合格したといいます。
彼女は、幼い頃から大工をしている祖父に憧れ「ものづくりを学びたい」と建築を学ぶことができる大学への進学を目指していました。けれど大事な高校3年生の夏休みを前に被災。私たちに「心が落ち着かない」と本音を話すことで、何とか気持ちを保ち、大学合格という夢への一歩をつかみました。
また、希望の企業から内定を獲得した男子生徒もいます。
「ちゃんと働いて、自分の力で稼いで、親を助けたい」
災害前の彼は漠然と、進学ではなく就職を希望していました。それが被災し、親のこれまで見たことがない不安な横顔を目にしたことで「親を助けたい。だから僕は働くんだ」と強く思うようになりました。
もちろん災害直後からすぐに意欲的になったわけではありませんでした。夏休み中は「毎日、暑さの中、家の片付けばかり。先が見えない。しんどい」と私たちに話していました。
被災は大人にとっても子どもたちにとっても、大変なことです。けれど、その経験を未来への力に変えることも出来るはず。カタリバは、一人ひとりの子どもたちに寄り添い、「マイナスからプラス」に変換するサポートをしていきたいと考えています。
こうした嬉しい報告がある一方で、まだまだ心配な生徒もいます。
「あの日のことは、あえて思い出したくない」
「本当はまだ不安だって、周りに言ってもいいのかな?」
「被災してない人に話しても仕方がないし・・・」
生徒たちが、ふとした瞬間に私たちに本音を教えてくれます。 家族や身近な人を亡くした子、家を失くした子、自宅は大丈夫だったけれど親が職を失った子、被害はそれぞれ異なります。「あの日のこと」を話したいと思っても、学校生活では互いに気遣い、自分の気持ちを自分でも知らないうちに抑え込んでしまいます。
カタリバはこれまでの被災地での活動から、子どもたちが少しずつでも誰かに心の内を語っていかないと、数年後に突然、心身の不調が表出してくることを経験しています。
そこで9月から、放課後に子どもたちが自由に過ごせる「居場所づくり」のサポートを行っています。
居場所にはスタッフが常駐し、彼らが「話したくなったらいつでもスタッフに話せる」場をつくっています。
子どもたちがリラックスして過ごし、あの日のことや、色々な不安についてふと話したくなった時に、スタッフがその小さなつぶやきに耳を傾ける場を作ることで、継続的な心のケアを行っていきたいと考えています。
これからもカタリバは、被災や貧困、DVや不登校など、様々な困難を抱える子どもたちを応援していきます。