4月中旬にシンガポールに戻り、GWを利用して再び宮城の実家へと往復した後、私の頭はますます混乱し、たぶん情緒も相当不安定になっていました。
朝起きた瞬間から寝ている間の余震の心配をし、
仕事中は数分おきにインターネットのニュースを気にし、
寝る瞬間までネットで日本のニュースを見る・・・
そんな生活が続いていました。
ふっとすると涙がこぼれてそうになる。
そんな不安定な自分に「おまえは安全な場所にいるくせに」と自嘲する。
よくないことばかりを考えている自分をコントロールするには、もうがむしゃらに被災地に向けて何か行動を取る以外に術がない、だけどいったい何をしたらよいのか・・・
そんなある日でした。
偶然インターネット上で見つけた1枚の絵。
その絵を見た瞬間、あふれる涙をこらえることができなくなりました。
「ミヤザキケンスケ」というアーティストが震災直後から被災地支援をする中で避難所に少しでも笑顔を、と子どもたちとワークショップをして描き上げた絵・・・
ミヤザキさん本人のブログに、そう書かれていました(最近のブログで当時をこう振り返っています)。
そして、それが描かれた場所が私の実家のある多賀城市だったのです。
しかも描かれた避難所である天真小学校は、私の母が以前勤めていた学校でした。
明るい色彩に満開の桜、眼下には手前に工業地帯と住宅地、そして広がる海・・・
震災さえなければ間違いなく毎年春に広がっていた馴染み深いのどかな景色。
しかし、震災後にこの目で見たその景色があった場所は、地震と津波により石油コンビナートが大規模火災を起こしていました。
4日間燃え続けてようやく鎮火した頃には周囲を全て焼き尽くし、ススの臭いが立ち込め、まるで爆弾が落ちた後のような荒野と化していたのでした。
(震災後の海側からの多賀城市の航空写真。天真小学校は写真のほぼ中央の奥側に位置する)
色を失った故郷の街に、こんなにもあたたかくエネルギー溢れる色を与えてくれた。
この人はなんという絵を描いてくれたんだ。
何度見返しても何度見返しても、涙が溢れました。
震災以来、初めて流れた嬉しさと感謝の涙でした。
そしてそれはもう直感的に、固い意志となっていました。
(この絵をシンガポールに住む人たちに見てほしい。そしてこの「ミヤザキケンスケ」という人が進める被災地支援をサポートするんだ。)
《続く》