知ってはいましたが、その作品を強く意識したのは高校1年生の保健体育の授業でのことでした。
非常勤講師として僕らを指導してくれていたカワサキ先生は、ある日の授業でこう問いかけました。
「純はタマ子にどうするべきだったのか?みんなはどう思いますか?」
1992年。
そう、「北の国から‘92 巣立ち」の放送直後のことです。
ー 東京のガソリンスタンドで働く純(吉岡秀隆)は、ピザ店で働くタマ子(裕木奈江)と知り合い、いつしか一線を越える仲になってしまう ー
(フジテレビ公式サイトより)
一線を超えた後は、皆様ご存知の「かぼちゃ」→「誠意って、何かね」→「丸太売却」→「100万円」→「返金」→「ぃやぁるならぁ…いぃましかぁ…ねぇぇぇ…」→(口パクでの) 「た・の・し・かっ・た」です。
男子校高校1年生をあらゆる角度から刺激し、未知の苦悩に対してあたかも当事者のように直面させられました。
議論はどんな授業よりも白熱し、結局カワサキ先生も含めて生徒は誰も答えは見つけられず、それぞれの未来へと大きな宿題となる…
素晴らしい授業でした。
今も心に残っています。
先日、倉本聰さんがお亡くなりになりました。
数多くの名作を堪能いたしましたが、やはり「北の国からシリーズ」は私の15歳から25歳ぐらいまでに、計り知れないほどの大きな影響を与えてくれました。青春時代の心の支えでした。
大学4年生の夏休み。
行き先を決めずに車で一人旅に出たことがあります。
持ち物はOvationのギター、ただ一本。
北東北の町を転々としながら、繁華街で弾き語りをし、稼いだ小銭はその日の食べ物とガソリン代。
そうして数日経ったある夜、ふと五郎さんの声がおりてきました。
「へそ祭りにぃ間に合うよぉぉ!」
富良野の夏の風物詩、へそ祭りです。
車は北へ北へ。
津軽海峡を車と一緒に渡り、北へ北へ。
気分は完全に「北の国へと’98 夏」です。
そうして富良野へ着き、車中泊で過ごした大学最後の夏休みは、忘れられない思い出です。
観光客用に設置されている資料館や「五郎の石の家」はもちろんのこと。
マニアなら誰でも分かる、富良野の至る所にあるロケ地。
へそ祭りの賑わい。
「子どもがまだ食ってる途中でしょおがぁ!」の食堂(ドラマと異なり接客がとても良かった)。
シュウ(宮沢りえ)と五郎が入った吹上温泉(本当に山の中にあって、しかも無料だったので毎日入った)。
母さん(いしだあゆみ)との思い出の一面のラベンダー畑…
幸せな時間でした。
心が富良野の大地にバッカーンと開放されました。
豊かとは何か、黒板家の皆さんが次々に私に語りかけてきるくるのでした。
唯一の誤算は…
富良野駅前にあったパチンコ屋で、なぜか昔の名機である綱取物語がまだ稼働しており、懐かしくてついつい打ったところ…気がつくと財布の金はおろか、郵貯の口座の金もすっからかんになってしまったことでした。
どうしよう。
帰るためのガソリン代もフェリー代もない。
コンビニで買った7個入りレーズンパンとの食生活も2日で限界を迎えました。
歌う元気も出ません。
もちろん私には売るための「丸太」もありません。
ギター一本で旅に出た男としてのプライドはとっくに消え失せていました。
結局、バイト先の店長に2万円を送ってもらい…本当に体力も金もガソリンもギリギリの状況で岩手のアパートに辿り着きました。
死ぬかと思った。
全て実話。誇張なし。
忘れられない夏の思い出です。
北の国からは、高度経済成長で失ってしまった日本人の心に問いかけるドラマであります。
同時に、私にとっての北の国からは「イタい」人間の人間味を教えてくれたドラマでもあります。
純も蛍も、ショウ吉も草太兄ちゃんも中ちゃんまで、みんな「イタい」。
何より黒板五郎が、どこまでも、何話重ねても、何年を経ても「イタすぎる」。
でもそんな「イタい」人たちに私たちは惹きつけられる。
思い出したくもないだろう苦悩や、二度と味わいたくないであろう失敗に、生きる力を見い出し、自分を重ね、明日も自分らしくがんばろうって思う。
15歳から25歳の私は、そう思って音楽にのめり込んだ日々を送っていました。
さて、五郎さんが東京に疲れて富良野に帰ってから40年以上が経ち、時代はコスパ・タイパが社会のシステムの中央に君臨し、AIが最適解を瞬時に導き出してくれるようになりました。
チャッピーに、
純くんは好きな子への思いの伝え方を聞くのか?
蛍ちゃんはもめない不倫の方法について相談するのか?
五郎さんは石の家の設計図を作ってもらうのか?
北の国からで描かれた「イタい」人間とは別な種類のイタい人間だらけの世の中になってしまってはいけない。
よーし、私ももっと「イタい」人間になってやる。
人の営みについて深いメッセージを残してくれた、倉本聰さんに合掌。
いつまでも心に残る作品を、ありがとうございました。

石川