私の母親が特別支援学校の教諭を長く勤めていたからか、父親が当時小学校の特別支援学級の担任をしていたからか、小さい頃から「あたり前」に障がいを持った子どもとそのご家庭が身近にありました。
日曜日にはそのご家庭が自宅に遊びに来たりすることもありました。
お茶を飲み笑いながら何気ない話をする姿もあれば、涙を流しながら私の両親に悩みを打ち明ける姿もあったと記憶しています。
ですから、大学生になり教育実習のため母校の小学校に行ったとき、担任の先生に「特別支援級にも見学・実習へ行きたいです」と申し出たのも自然なことでした。
ところが担任の女性先生は顔を著しく曇らせ、許可してくれませんでした。
どうしてそんな反応を示したのか、分かったのは実習の最終日でした。
「私の息子が障がい児なのよ」
教育者である自分と障がいのある子を持った母親の自分の葛藤。
他者が踏み込んでいけるような軽いものでは決してないことを痛感しました。
シンガポールに来て、塾を通して多くの子どもたちと触れる中、日本人小学校やインター校の特別支援学級に通う子どもたちや通級でサポートを受ける子どもたちと接してきて10年以上が経ちます。
以前教えていた子の中には既に就職して立派に社会に出ている子もいます。
日本へはもうずっと前に帰ったのに、未だほぼ毎週、日常生活をラインしてくる子もいます。
私たちが幸せなことは、そうした子たちの「今」をサポートする機会を得ながら「未来」の成長を感じることができることです。
私たちがどうがんばっても至らないことは、そうした子どもたちが安心して毎日通える「学校」には決してなれないことです。
学校に通うことが出来なければ、多くの場合、子どもたちはシンガポールにいることができなくなります。
いくら塾ががんばっても、子どもたちは行き場を失います。
そして10年以上、実に多くのご家庭が苦渋の決断を強いられてきています。
だから私は、シンガポール日本人中学校に特別支援学級・通級ができてほしいです。
クレメンティ小・チャンギ小でサポートを受けている子どもたちが、これからシンガポールに来る子どもたちが、安心して、せめて義務教育の期間だけは、日本人学校に通える環境になってほしいです。
今日2022年2月16日から2月25日まで、日本人会の理事選挙があります。
この1年、中学部の支援級設立のために多くのことを共有しサポートし続けてくださっている方が立候補してくださっています。
私はこれまでの思いと、今の思いと、これからの思いを胸に投票に行きます。
石川
追記 昨年夏のパラリンピック開催中のニュース。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7bdceabebd38c87acdba04deb3a2332c924f88e4
この写真の明るくどこまでも続く「道」がシンガポールにも届くよう、これからも塾としてやるべきことに努めていきます!