日々邂逅15
ー 少年の日の思い出 ー
というタイトルを見て「あぁあれね」「非の打ち所がない悪徳、エーミールね」「クジャクヤママユをクシャね」と思い起こす方はどれくらいいらっしゃるでしょう。
1931年にヘルマンヘッセが発表したこの短編小説。なんとなんと日本では1947年(!)から実に70年以上も中学校の国語の教科書で読み継がれています。
いかがでしょう、記憶にありますか?
私ももちろん中学校時代に読みました。
そして私の国語の教科書の作品史上で最も記憶に残っている作品、それがこのヘッセの短編です。
なぜ?
単純な話で、私自身が中学校時代に蝶に夢中になっていたからです。
(小学校、ではありません。中学校です)
どれくらい熱中していたかというと、例えば夏休みには毎日のように山や野原に分け入り、受験を控えた中3の時に仙台市・理科作品展で市長賞を頂くくらい昆虫網を振り回しまくっていました。
受験生 ちょうちょをとって ほめられる
勉強しやがれ!と親は思っていたに違いありません。
さてその蝶々熱を私に伝染してくれたのが、当時から今も親友である「あづしちゃん」です。
私の中途半端な知識や経験など鼻くそに感じるくらい、あづしちゃんは蝶のことは何でも知っていました。
それだけではなく、同時に知識を経験に変える行動力も備えていました。
「ドコソコの森にはナニナニの木が多くあるからホニャララの蝶がいるに違いない。晋太郎、次の日曜日行くぞ」
「ムコウの山のアノ斜面はホニャララの蝶々が生息するのに絶好の環境のはずだ。晋太郎、次の日曜日登るぞ」
こうして私とあづしちゃんは暇さえあれば時間を忘れて昆虫網を振り回していました。
受験生 塾へも行かず ちょうちょとり
勉強しやがれ!と夏期講習会に追われる同級生ですら思っていたに違いありません。
そんなある台風一過の秋の日のことでした。
いつものように(?!)授業中にボーっと窓から外を見ていると、一匹の蝶がヒラリと私の3年3組の教室に迷い込んできました。
カーテンにとまって動かない蝶。
休み時間にひょいと素手で捕まえると…見たことがない模様。
市長賞を取るくらいですから、少なくとも宮城に生息する蝶は全て知っている自負がありました。
???
急ぎ3年5組だったあづしちゃんのところへ行きました。
「…ん!これはもしやクロコノマチョウでは!?」
興奮するあづしちゃんに引っ張られ理科室の本棚で調べると、確かに似ている。
しかし説明には「静岡県より南西の暖かい地域に生息」とも。
なぜそんな離れたところの蝶々さんが宮城に?しかも私の教室に??
軽い興奮を覚えながらその日の放課後、隣町に住んでいて既に家に度々入り浸っていた宮城県昆虫協会の会長宅へ、あづしちゃんと自転車で向かいました。
まだ生きているその蝶を見るなり、そのおじいちゃん会長先生は…
「…ん!石川君、あづし君、これはクロコノマチョウではない…ウスイロコノマチョウだよ!大発見だ!!」
会長先生が丁寧に説明してくれたことによると、ウスイロコノマチョウは九州南端より更に南に生息している蝶である。
なぜその蝶が宮城にいるのか?おそらくその数日前の台風に乗って九州か沖縄から「迷蝶」として飛ばされてきたに違いない。
そして宮城県では過去に見つかった記録はない…。
その時の二人で味わった大興奮は今もはっきりと覚えています。
そして今も思うのですが…わざわざそんな遠くから台風に飛ばされてきた蝶々一匹が、私の教室に迷い込む確率って…すさまじいですよね。
その後、会長先生が知り合いのテレビ局にその話をしたことで私は取材を受け、なんと宮城のローカルニュースにも出演したのでした。
受験生 ちょうちょをとって テレビ出る
勉強しやがれ!と中学校の先生・生徒全員が思っていたに違いありません。
その時つかまえたウスイロコノマチョウは、あれから30年経った今も私の実家の玄関に飾られています。
これが私にとっての「少年の日の思い出」です。
ヘッセの短編はその作品の素晴らしさだけなく、当時の私とあづしちゃんの思い出まで美しく鮮明に呼び起こしてくれます。
ちなみに教室に飾られている「クジャクヤママユ(作品中で事件の発端となる蝶)」は、5・6年前にあづしちゃんがわざわざ輸入して手に入れて私にプレゼントしてくれた貴重な標本です。
こんな年になっても未だに蝶のことで思いを共有できる親友に感謝。
だから中学1年生の国語を受講されている皆さん。
試験前の対策授業にもかかわらず、クジャクヤママユの実物を片手に私の思い出話につき合わせていますが…ご容赦くださいっ!
石川