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連載「日々邂逅」17 ー 尾崎豊と令和の子どもたち ー

4月25日という日。

音楽を夢見ていた頃、必ずこの日はギターを持って路上に歌いに出かけていました。

歌いながら偲ぶために。

 

尾崎豊さんが亡くなってから、31年も経過していました。

・・・本当に?そんな前だった??

KOMABAの〇〇先生が「それ、生まれた年っす」と言うくらいはるか昔のことのはずなのに、今聴いても鮮やかに心が彩られる力を感じます、尾崎の歌に。

 

私の尾崎豊との出会いは、授業中でした。

高校1年生の学年末、保健体育の最後の授業の日のことでした。

「今日は視聴覚室で授業をやるぞ」

授業がとてもユニークでぶっとんでて大好きだった、非常勤のコーゾー先生が言いました。

男子校のバカタレエロガキシュウダンである我々は即座に思いました。

「ついに、映像授業か」と・・・。

そんな我々の期待は大きく裏切られ、先生はわら半紙に印刷された歌詞を配布し、そして音楽を聴かせてくれました。

尾崎豊の「十七歳の地図」でした。

 

ーたいしていいことあるわけじゃないだろー

 

初めて聴いた尾崎豊の歌声、曲、そして歌詞のこの一節。

なんてことはないAメロ途中のこの一節に身震いがしました。

思春期真っただ中でもやもやしていた心に突きささりました。

この人がどんなことを考えているのか、もっと知りたい。歌を聴きたい。

 

すぐに尾崎豊のファーストアルバム「十七歳の地図」を買い、セカンドの「回帰線」を買い・・・

それから先の高校時代、尾崎の曲を毎日のように聴き続けました。

高校3年生の夏休みには人生初の東京一人旅に出かけ、尾崎豊のゆかりの地をホテホテと何日もかけて歩き回りました(勉強しろよ)。

高校3年生の晩秋、ティーンズというバンドの大会の予選にピアノ弾き語りで出場し優勝したのは尾崎の「街路樹」という曲でした(勉強しろよ)。

今も大切に使っていて、棺桶までもっていく予定のギターは尾崎豊が持っていた影響で、大学1年生の夏休みに毎日夕方17時から朝5時までバイトして35万円稼いで一括で買いました(勉強しろよ)。

 

そうしているうちに音楽に魂をもっていかれ、数年後に音楽を志していくことになるとは・・・。

コーゾー先生の最後の授業の影響、絶大過ぎでしたね。

 

さて、それくらい青春の入り口を尾崎で染められた私ですが、時代が流れ、さすがに「バイクを盗もう」とか「夜の校舎の窓ガラスを割ろう」とかは思いませんが、今も共感できる言葉がたくさんあります。

 

ー大人の言うことを信じろと言われ育った答えがあるならば出さなければならなかったし嘘をつくなと言われて育てられた僕たちの親が作った経済大国だけど文明はどこかで一人歩きしている法律の名のもとに作り上げた平和だけど首をひねって悩んでいるのは何故ー

 

尾崎がこのように歌ってから30年以上経っても、あいかわらず「首をひねって悩んでいる」世の中。

「文明の一人歩き」は信じられないくらいに加速度を上げ続けています。

 

令和を生きる今の子どもたちは、尾崎の歌を聴いたらどのように感じるんでしょう。

今度子どもたちに聴かせてみようかな、コーゾー先生がしてくれたように。

 

石川