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人生で心に残ったミュージシャン①|「ジョンレノンの命日に」

ジョンレノンが大好きです。

「どのミュージシャンが好きですか?」という質問を受けたならば迷わず「ジョン・ウィンストン・オノ・レノン」と即答です。

ジョンレノンに夢中になったきっかけは高校生の時でした。

当時に好きだった女の子が「あんたは尾崎豊ばっかり聴いてないで、こういう音楽をちゃんと聴きなさい」と貸してくれたのがビートルズ(ちなみに海賊版だった…)。

シャリシャリしたギター。

ペタペタしたドラム。

ポムポムしたベースのリフ。

何よりその当時から30年前とは思えないほど新鮮さに満ちた4人のボーカル。

あっという間に虜になりました。

ところがここで困ったことが起きます。

僕にビートルズという爆弾を投下してくれたその女の子によって「受験だから」という理由でフラれるという更なる爆弾を投下されてしまうのです。

 

ビートルズを聴くと・・・悲しくなるじゃないですか。

 

ビートルズを聴きたいのに聴けなくなってしまった哀れな僕がとった手段、それが「ジョンレノンのソロを聴く」というものでした。

後期ビートルズの洗練されたサウンドとは異なり、自室でテロテロ奏でているような身近さ。

賛否両論、ファンの間では永遠に決着のつかないオノヨーコとのコラボ。

あまりに赤裸々に訴えかける詞のワンフレーズ。

 

「うわぁ・・・すげぇ・・・ジョン、すげぇ」

とヘッドフォンで耳をふさぎながら毎日代ゼミの自習室で聴き入っていましたね。

 

なんとかギリギリで大学に入った後、自由になった僕はビートルズとジョンを追い求めました。

大学2年。ビートルズ音楽祭なるもので東北代表になり、全国大会出場。

その時の審査員長が5人目のビートルズと言われるジョージマーティン氏。

優勝はできませんでしたが、賞品はロンドンのアビーロードスタジオでジョージマーティン氏によるレコーディングというとんでもないモノでした。

(ちなみにその時の中国地方代表が後のポルノグラフィティらしい)

 

大学3年。ニューヨークへ行き、セントラルパークの記念碑やダコタハウスへ。

 

大学4年。その2年前にポールマッカートニーが設立したLIPAというリバプールの芸術大学へ短期留学。

憧れのキャバーンクラブへ通うのはもちろん、街全体がビートルズ博物館のようなリバプールをお酒と共に満喫しまくった最高の日々。

その時撮りまくった写真のフィルムが、成田の荷物検査のX線で全てダメになったしまったことと合わせて忘れられない思い出です。

 

ビートルズをあの時知っていなかったら、ジョンレノンをあの時聴いていなかったら。

その後音楽にあんなにどっぷり浸かることはなかっただろうし、全く違う人生になっていただろうなぁ。

 

40年目のジョンレノンの命日に、ふと昔を思い返しました。

人生を変えてくれたジョンに感謝と合掌。