まず、紆余曲折あって辿り着いたミヤザキケンスケと入れ替わるように、僕は息子と二人で役目を終えシンガポールに戻る…というところまでが、「Over the Wall -ケニア⑦-」で書いたところでした。
ところがこの直後、大事件が勃発しました。
ナイロビからドーハ。
ドーハで飛行機の遅延が7時間あってようやく飛び立ったドーハからチャンギへの機内で「は!?」と気づく。
なんと、ケニアはシンガポールにとって黄熱病汚染地域に指定されており、イエローカードを持っていないと入国できないことに気づいたのです!!
言い訳をすると、僕はそれも考えていたので事前に外務省のホームページで「ワクチンなしでもOK」と調べていました。
しかし、それはあくまで日本の外務省のページでして、シンガポールに戻る僕らはシンガポールのルールを調べなくてはならなかったのです。
こんな当たり前のことを…「何年シンガポールに住んでいるんじゃ!?」と自分に腹が立ちました、が、あとの祭りです。
さんざんミヤザキケンスケを「Over the Wall -ケニア⑥-」でいじり倒したバツが、倍返しになりました。
恥ずかしい、とはこのことです。
人のことを悪く書くものではありません。
たくさんの後悔と恥を荷物以上に抱えて、ともかくチャンギに着陸しました。
実は、僕自身は青年海外協力隊の時代にワクチンを打っていたので、イエローカードを持っていたのですが、最大の被害者が当時15歳の息子でした。
息子は当然、父親の不手際によりイエローカードを持っておりません。
(最近覚えた言葉で)「ワンチャン」あるかも…!
…ありませんでした。あっさりイミグレで入国拒否です。
いくつかの選択肢の中、石川家がとった結論は「息子だけそのまま入国せずにチャンギから日本に帰す」というものでした(僕は仕事があるので息子を送ったあと入国)。
幸い息子は既に夏休み中であったこと、それから前述の通り日本はケニアを黄熱病汚染国に指定していないため、入国には問題がありません。
しかしケニアからの長旅に加え、更にチャンギで8時間待ち(床で寝た)、そのまま日本、更に私の実家の宮城までの旅程・・・
合計30数時間に及ぶ旅を強いた息子には、しばらくは申し訳なくて申し訳なくて、あぁぁぁ本当にあの時はごめんなさい…。
シンガポールからアフリカに行く皆様。
どうか「日本の外務省」ではなく「シンガポール政府」の情報をご確認してください!!
完結-後編-に続く
石川