震災発生から数日後、徐々に明らかになる甚大な被害、「想定外」の原発事故。
被災地だけでなく日本中が悲しみと、恐怖と、不安と、とにかく経験したことがない状態に陥っている中、私は何不自由なく生活できるシンガポールにいました。
周りのシンガポール人の友人や、たまたま乗ったタクシーの運転手にまで「どうして宮城の家族をシンガポールに呼ばないんだ」と言われる中、私は被災地のために何ができるだろう、と自問自答を繰り返し、焦っていました。
これまでバングラデシュのNGO活動に参加したり、青年海外協力隊でジンバブエに行ってきたのは何のためだったのか。
生まれ故郷があんな目にあっているのに、何もしないでどうする、と何度も自分に言い聞かせました。
そんな時、元サッカー選手の中田英寿さんが「Take Action」と呼ばれるチャリティーマッチをシンガポールで開催されるニュースを知りました。
https://singapore.keizai.biz/headline/5133/
当時シンガポールにいた方はご記憶にあるかもしれませんが、震災後にすぐにシンガポールのアルビレックス様がS(シンガポール)リーグとの共催でチャリティーマッチ開催のために動いてくださって、4月2日に実施されることになったのです。
(何とかこのお手伝いができないか)
そう思っていたところ、付き合いの長い初老のシンガポール人のご近所さん(元プロサッカー選手で元シンガポール代表も経験。口癖は「釜本はうまかった」)が、「じゃあ、俺がSリーグの事務局に連れて行ってやるから、直接聞いてみよう」と声をかけてくれ、彼の運転する軽トラで事務局へ。
アポなしだったのですが、Sリーグの方に事情を話すと「ちょうど会場での募金活動をするボランティアが欲しかったんだ。それを運営してもらえないか」となり、すぐに早稲田渋谷シンガポール校の高校生や一般から20名ほどのボランティアを集め、当日スタジアムで声を枯らせながら募金活動をすることができました。
何かをやっていると落ち着き、何もやらないと落ち着かない。
中田さんのチャリティーマッチが終わると、すぐにまた焦燥感に包まれました。
そんな中、当時勤めていた職場に無理を言って、1週間の特別休暇をもらい宮城に帰れることになりました。
いよいよ明日、日本に向けて出発だ―――
支援物資をムスタファセンターで買い込んで準備していた4月7日の深夜、再び震度6強の地震が宮城を襲いました。
《続く》