◆◆◆私の学習歴~受験勉強と音楽と私~◆◆◆
私は高校時代、勉強がたいへん苦手でした。
苦手、というか、勉強ができませんでした。
数学のテストで4点(ヒャクテンマンテン)という記録があります。
せめて運動くらいできれば学校生活も楽しいものになるのですが、ずっと続けていたサッカーは下手の横好き。
レギュラーどころかベンチも入れませんでした。
活躍する場がない、にもかかわらず自己主張だけはいっちょ前に強い私に多くの友達ができるわけもなく、
私の高校生活は決して愉快で充実したものではありませんでした。
何さやってもうまぐいがねぇ…
学校さ行っても、おもしぇくねぇ…
この無機質な日々のまま高校が終わって、俺は大学へは入学できず駅裏の〇々木ゼミナールに入学すんだべなぁ…
と思っていた高校3年生の夏休みでした。
頭がよく既に指定校推薦の権利を手中にしていた数少ない親友の1人に言われたひと言が運命を変えました。。
「今度ライブやるんだけど、キーボード手伝ってくれ。おまえピアノ弾けるじゃん」
受験勉強から逃げるようにして参加したバンド練習。そしてステージ。
おそらくバンドをやったことがある方は誰しも感じた経験のある、あの魅惑に満ちた瞬間と胸の高鳴りに完全にのめり込みました。
そして元々歌うことが大好きだった私はすぐに自らマイクを持つようになり、ピアノやら覚えたてのギターやらを手に歌いまくりました。
いくつかの高校生の大会に出て、その中で優勝して地元ラジオで歌が流れたりして、音楽が楽しくて楽しくて仕方なくなったある木枯らしが吹き始めた晩秋の夕暮れ、はたと「あ、浪人する…」という現実にようやく気づいた私は、今思い返しても救いようのない阿呆でした。
しかし「こんなに充実した音楽の時間を、浪人にために1年間我慢しなくちゃならねぇのは…うー、耐えきれん!」と一念発起。
残された〇々木ゼミナール入学までのカウントダウンが始まっている中、死に物狂いで、本当に死に物狂いで勉強し、奇跡的に何とか現役で教育系の大学へたどり着いたのです。
さて、入試であれば完全に「文字数オーバー」のこの私の学習歴。学んだことは2つあります。
1つ目は動機づけ。
学力がないだけでなく大学へ進学する動機もない私が勉強しても、やはり成績は上がらなかったことはもちろん、
仮に大学へ行ったとしても高校生活よりももっと落ち込んだ4年間を過ごしただろうと思います。
私の大学4年間は今も燦燦と輝く素晴らしい時間でした。
その根底にあったのは「音楽をしたい!」という曲がりなりにも、目標を持って大学受験に臨めた時間だった気がするのです。
小中高大と受験があるとして、何が大きく変わるかというと、受験に伴う本人の責任の大きさだと思います。
そしてその責任と向き合う材料は、客観的な学力診断結果よりも、主体的な動機づけである、そう学ぶことができました。
もう1つは自己肯定感。
何にも自信を持てなかった高校時代の私を変えたのが音楽でした。
これは技術やセンスの問題ではありません。
今でもそう思うのですが、音楽は演奏者一人ひとり、誰もが主役。
歌い手であろうが、リズム隊であろうが、うまかろうが、下手であろうが、みんなみんな主役。
少なくともライブでは。
相対的に自分を位置づけ、いつしかダメな自分探しばかりしていたあの頃、私は自分が主役になれたことで、自分の可能性探しの旅を始めることができました。
と同時に周りの人それぞれも、それぞれのステージの主役である。
いつしか当たり前のようにそう思っていた頃、今もつながるたくさんの大切な仲間に囲まれていました。
自己肯定は他者の肯定につながる。
金子みすゞの言葉を借りるならば、「みんなちがって みんないい」という優しく寛容な気持ちになれる。
そうするといつの間にか世界が広がる。
そこで新しい人たちと出会う。
「みんなちがって みんないい」
また世界が広がる……
それをあの頃から今も延々と繰り返してきている気がします。
さて、私の仕事は塾講師。
幸せなことに、子供たちに自分自身の学習歴がいかに大切さか伝えることができる立場にあります。
学校や塾に通っているだけでは学習歴が深まらないのは、何より私自身が経験済みです。
子どもたちが自分のステージでライブをするために、学びをどうおもしろく深めていくか。
そんなことを模索する今の仕事は、ライブと同じくらい楽しくて仕方ありません。
ましてやここは海外・シンガポールですから、誰にも自分が学習歴を深めるステージが用意されているはずなのです。
石川