↑以前、KOMABA講師陣でリレー連載したブログです。それぞれが自分たちの「学習歴」を振り返っていますので、手持ち無沙汰なときにでもぜひ!
カンボジアで日本語教師の真似事をしてみたり、自分で学生団体を立ち上げてみたり、地元中学生とカンボジアの孤児院の子どもたちの交流企画を立ち上げてみたり……と、「教育」という分野に目を向けるきっかけになったのは、間違いなくカンボジアでの経験です。子ども達と関わるような仕事がしたい!とこの頃から強く感じるようになりました。
一方で、当時の私の心の中には、引っかかっている部分がずっとありました。
……確かに、日本の子どもたちの方がカンボジアの子どもたちよりも様々な面で恵まれているかもしれないけれど、日本の子どもたちにも自分が何か貢献できることはないだろうか?日本の子どもたちの中にも困っている子はいないだろうか?
そんなことを考えていたときに始めたのが、児童養護施設での学習ボランティアです。これが私にとって二つ目の転換点でした。
ちなみに、児童養護施設とは、「保護者のない児童、虐待されている児童など、環境上養護を要する児童を入所させて、これを養護し、あわせて退所した者に対する相談その他の自立のための援助を行うことを目的とする施設」と法律上は定義されます。
新潟県内のとある児童養護施設に私は約1年間通い、施設の中学生たちに英語と数学を教えていました。
その中で出会った一人の女の子、Sちゃんのことが今でも忘れられません。
Sちゃんは当時中学2年生。無口な子で一人で過ごしていることが多く、はじめは話しかけてもあまり反応してくれませんでした。
そんな彼女が時折呟くのが、「どうせ勉強したってムダ。私はできないもん」というフレーズ。
Sちゃんはアルファベットを書くのも微妙なところで、数学は正負の数の計算から復習しなければならない状況。
実は私も13歳で父を亡くし、母子家庭で育ってきたのですが、複雑な家庭環境のSちゃんと自分を勝手に重ね合わせて、何とか彼女の支えになりたいと思うようになりました。自分の未来を完全に諦めてしまっている彼女の姿がどうしても歯痒かったのです。
「支えになる」なんて考えは、若さゆえの驕りかもしれませんが、当時の私は必死で、アルファベットの神経衰弱カードや数学の計算プリントを作ってみたり、時には一緒に台所でクレープを作って食べてみたりと、様々な形でSちゃんとの時間を過ごしました。もちろん上手くいくことだけではなくて、失敗もたくさんありましたが、少しずつSちゃんが打ち解けて色々な話をしてくれるようになりました。
だんだんSちゃんが笑ってくれるようになり、「学校が最近は楽しい。高校にも行ってみたい」と話してくれたのが心から嬉しかったです。ボランティア開始から約一年後、最終日にSちゃんがくれたお礼の手紙を読んで、帰りの電車で思わず号泣。私にできたのは本当に些細なことでしたが、それでも少しは役に立てたのだろうか……と思い、胸が熱くなりました。
学習を通して、一人でも多くの子どもたちの成長の支えになれたら、というこのとき感じた想いは今も変わりません。
カンボジアとSちゃん、この二つの経験があったからこそ、今の自分があるのだと思います。
KOMABAと出会い、今こうしてたくさんの子どもたちと一緒に過ごせることを改めてとても幸せに感じます。日々の中の偶然の出会いに感謝の想いでいっぱいです。
まだまだ未熟な部分もありますが、どうか皆さまこれからもよろしくお願いいたします!
川口